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2022年2月19日 (土)

私の好きな曲

  自分の好きな曲をクラシックのジャンルから選んでしまうのは少々気恥ずかしいが、もし神さまに

「この先、ひとつの曲以外は聴いてはいけない、選びなさい」

と宣言されたらどうするか。あれこれ考えた挙句に選んだ曲は

『ラ・カンパネラ(パガニーニによる大練習曲 S.141の3)』

これは誰もが認めるであろう名曲だ。「クラシックは聴かないよ」とか「そんな題名は知らない」という場合でも、この旋律を耳にすれば、どこかで聴いた記憶があると認めるに違いない。クラシックの場以外でも多く使用されている。
 演奏するためには高度なテクニックが必要な曲だ。旋律の中でさまざまな音色が行き交う。演奏を聴くたびに、いったい指が何本あるんだろう、どれだけ大きな手をしているんだろう、と驚嘆する。

 ピアノを少々習っていたせいかピアノ曲はよく聴いていたし、もちろんこの曲も知っていた。とはいえ、数ある名曲の中からあえてこの曲を選ぶという理由は長らく持ちあわせていなかった。きっかけがあった。

 そのきっかけは、時期的な理由できっかけとなるべく舞い降りてきたのかもしれない。
 困難は横並びでやってくると言う人がいる。そんな体験をした人は多いはずだ。私にもそんな時期があった。家族の問題、両親の問題、自身の手術を伴う疾病の発覚。解決困難な問題が一気に押し寄せてきた時期があった。
 その時期の入り口あたりで、フジコヘミングのドキュメンタリー番組を視聴した。まったく偶然だった。何か他のことをしながらふとテレビに目をやると、誰か知らない女性が狭い部屋でピアノを弾いている映像が目に入った。その場面から、なぜか、最後まで食い入るように見てしまった。思えば、それがきっかけのきっかけだった。
 数日後、CD売り場に立ち寄ると彼女のCDが視界に入り、ふらっと購入した。なんと表現したらいいのだろう。「これを買おう!」と明確に意図してレジへ持っていったわけではなく、いつも買っているお豆腐を手に取るような心持ちで自然にレジへ運びお金を払った。だから、さしたる興奮もなかった。
 すぐに聴いたかどうかは忘れたけれど、CDを聴いているうちに涙が滲んできた感覚を覚えている。クラシックは好きだけれど、たくさん聴いたけれど、これは初めての経験だった。

 それからは、リラックスしたいときにこのCDを流すようになった。

 『ラ・カンパネラ』は、CDのタイトルにも使用されているくらい彼女にとっても思い入れのある曲なのだと思う。だからこそ、さまざまな感情がつまっているように聴こえる、と勝手に思っている。

 他の収録曲も好きだ。けれど、この曲が流れ出すと耳が曲の方へ集中していくのがわかる。今から始まるよと知らせるような象徴的なメロディ。

 たぶん、テクニカルな面ではもっと優れた弾き手の演奏があると思う。彼女自身もそんなふうなコメントをしていた事があったように記憶している。「いいのよ、少しくらい間違ったって」と。

 調子付いて、彼女の他のCDも数枚購入した。でも。不思議なことに、彼女が演奏する他のCDではこの感覚を得ることはなかった。心が洗い流されるような感覚になるのはこの一枚だけなのだ。だから、──残念なことに──、彼女の生の演奏は聴くことができずにいるけれど、この先も聴く機会はないだろうと思っているけれど、それでいいのかもしれないと思っている。

 今では、他の演奏者の奏でる『ラ・カンパネラ』にも耳を傾けている。そうした聴き方をしていると、少しずつ表現方法が違うのがわかる。
これも、名曲の楽しみ方のひとつでもある気がしている。

奇蹟のカンパネラ-フジ子・ヘミング

 

 重い話だけで終わるのはバランスが悪いので、楽しい方の曲をひとつ。

 子どもが小さい頃、夏になるとクラブメッドというリゾートホテルをよく利用していた。このホテルは一時もじっとしていないわが子たちを追加料金なしでキッズクラブで預かり、彼らにもホテル内のアクティビティを体験させてくれた。そこに、彼らは喜んで参加していたし、大人は大人で自由が得られた。
 夕方になると迎えに行き、夕食をとる。夕食が終わるとショー行われた。今では、違う曲が流されているかもしれないが、当時流されていた曲を聞くと今でもウキウキしてしまう。英語圏以外の歌が流れてくるのがさらに現実逃避には好都合だった。ショーが終わると、みんなでクレージーサインと呼ばれる簡単な踊りを一緒に踊り、心地よく疲れて一日が終わる。

Club-Med-Crazy-Signs

7曲目の「Macarena」は、当時の日本でも流れていた。だから、ある年齢以上の人ならば、どこかで聴いたことがあると思う。久しぶりに聴いてみたが、ラテンならではのパッと楽しくなってしまう曲だ。

 名曲と呼ばれるものは数多くある。でも、それらによって引き起こされる感性はそれぞれ異なっているに違いない。
「やっぱり、何度聞いてもいい曲だねぇ」
と言い合いながらも、その情感は──微妙な差ではあるかもしれないが──、まったく同じではあり得ないだろう。先に紹介した曲にも、私ならではの経験とその瞬間の感性が付随している。これらは引き剥しようがない。そのおかげで、思い入れのある
曲を聞くと、その瞬間を再び垣間見ることができる。

 多くの人の経験に作用し、その後も時空を超えてある瞬間を呼び覚ます力を多くの人の中で発揮しているうちは、名曲として生き続けるのかもしれない。たくさんの曲を思い出しながら、そんな風なことを考えた。

(追記;動画を探していたら、「Macarena 」はニコニコ動画のもので聴けるようです。振り付けも見られます。聴いてみたい人は「恋のマカレナ」で検索するとヒットすると思います)

 

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