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2021年8月24日 (火)

夏といえば

 夏といえば、スイカやかき氷、花火に肝試し。これら夏の風物詩は、その気になれば一年中楽しめなくもなくもないが、暑さが何よりの引き立て役となる。暑さがなければその喜びは半減するかもしれない。暑い中で口にする冷たく甘い食べ物。汗ばむ闇の中でぽんと目に飛び込み広がるやわらかな光。このほかにも、忙しく行き交うツバメの姿や生き物たちの賑やかな鳴き声は、うんざりする夏の暑さを耐え忍ぼうという気持ちにさせてくれる。夏の暑さが触媒となって満足感をかさ増しする。もちろん、そんな風には考えない人も多いだろう。暑いものは暑い。同感だ。だから、クーラーの中で食べるアイスクリームや涼やかな桟敷席で楽しむ夏の催しでないと興味がわかない人もいるに違いないと想像はつく。それに、それはそれで私も好きだ。
 日本の夏の風物詩には日本特有のねっとりするような蒸し暑さは欠かせないと考える私の感性の方がおかしいのかもしれない。おそらく、その感性の元となった体験が私にはあるのだろう。そのいちばん最初の体験は何だったのかは記憶はない。けれども、暑さも楽しみのうちに紛れ込ませてしまえるらしい。そのおかげなのか夏はものすごく楽しい。

 以前住んでいた町から山の方に30分ほど車を走らせると、ホタルが生息する場所があった。その場所の位置は、知人が聞きつけてきた。ひと家族では心もとないので、夏になると同じマンションのママ友たちと共に車を連ねて見に行っていた。
 ホタルが多く飛び交う最適な気象条件は、ムッとするくらい充分に湿気があり、かつ風のない夜だ。この環境は人間にとっては最悪の夜だ。けれども、ホタルを見たさにこの不快さが訪れるとワクワクした。そして、「きっと今夜は見られるよ」と言い合って、みんなで出かける算段をしあった。
 親も子どもたちも車を降りた途端に汗でびしょびしょになりながらホタルを探し、眺めた。田んぼの向こうの木々の中で点滅するホタルの光は、びしょびしょの汗の不快さを耐える価値はあった。田んぼの畦ぎわに立って首を右から左に精一杯稼働させながら眺めても、ほとんど途切れる事なくホタルが光を点滅させ飛び交う光景があった。車を降りてからずっと不快な湿気に不満を垂れる子どもたちは、この光景を見た途端に不満を忘れてしまうようだった。

 子どもたちは、それぞれに虫取り網と虫かごを持っていた。今なら大いに怒られてしまうだろうし、だから、子どもたちが眺めるだけで満足するように仕向けるだろうが、当時はその場所を訪れる人も少なく牧歌的な雰囲気で、採ってはいけないかもしれないという考えはなかった。それでもそれなりの遠慮はあった。ひと家族に数匹ずつホタルをかごの中に入れたらば自然と採取活動は終わり、ただただみんなで眺め、どれだけ感動しているかを言い合っていた。
 一度、部屋においていた虫かごの中で卵を産んでいたことがあった。ホタルと一緒にそこの草も入れていて、その草の上に小さな卵を生みつけていた。そのままにしておくのは良心が痛むので、卵は山の中に返しに行った。

 ホタルの他にも、強風に飛ばされてしまったと思われるクワガタを飼っていた事もある。近くの幹線道路脇に植えられていた木々が大量に伐採されるまで毎年少なくとも一度はクワガタがマンションの玄関先の通路に落ちていた。そのクワガタを拾っては家で飼っていた。迷い込んだセミは棒に捕まらせて空へ返していた。セミは旋回するので思い切り投げるようにして空に放たないとまた通路へ飛び込んできてしまう。
 引っ越してしまいホタルを見にいけなくなったあとは、もっぱら虫たちの救助活動に勤しんでいた。そういえば、友人は子どもが飼っているカマキリのために、夜な夜な生き餌を求めて電灯の下で虫網を振っていた。これも夏だから見られた光景だと思う。

 夏の防波堤でやったロケット花火での戦争ごっこは今ではできないかもしれない。水風船の投げ合いならば今でもできるかもしれない。

 暑さを厭わなければ、夏の楽しみは何倍にも広がる。こんな言い方は反則なのだろうが、夏といえば夏の暑さ自体がいちばんの売り物なのかもしれない。それがないと夏の楽しみは半減してしまうように思う。これからも不快さを逆手にとって上手に利用する手立てを増やしたい。他の人が共感しなくても、密やかな楽しみにすればいいと思う。

 今年は雨続きでいつの間にか夏の季節が終わろうとしている。8月の中旬あたりから冷やしそうめんのはずが煮麺になり、ところてんは賞味期限ギリギリまで冷蔵庫に入ったままになりがちだった。

 残暑は戻ってくるだろうが、すでに夏は過ぎつつある。

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